松尾潔の「メロウな歌謡POP」第5曲目 安全地帯「恋の予感」(1984)

第5曲目:安全地帯「恋の予感」(1984)

 

 もし生まれ変わって自分で好きな声を選べるとするなら誰の声がいいか。ぼくが迷わずに玉置浩二の名前を挙げます。彼の声にはそれだけでメロウネスを感じるから。エディット・ピアフは「電話帳を読みあげるだけで」人を感動させることができると言われたけれど、少なくともぼくにとっては玉置浩二の声もまたその域にある。

 ただし電話帳は日本のものでなければ効果が薄いと思われます。つまり日本語を美しく響かせる声帯の主なんですね。あくまで外来語としての「ワインレッド」であり、英語の「wine red」ではないのです。もちろん「burgundy」でもないし、ましてやフランス語の「bourgogne」ではあり得ない。日本語でも「ワイン色」までいくと飛鳥涼(ASKA)に分があるかもしれず、加減として「ワインレッド」がちょうどよい。うつくしい音色の楽器を鳴らすためにはそれに相応しいメロディを奏でなければならないように、楽器としての価値が高い声を効果的に響かせるためには相応の言葉をえらぶ必要がある。玉置浩二の声には井上陽水の歌詞が似合います。

 玉置浩二そして安全地帯の曲から1曲となれば、当然「ワインレッドの心」もよいのですが、ここではよりメロウな味わいが深い「恋の予感」を選んでみましょうか。もちろん作詞は陽水さんです。夜に似合うのは無論のこと、真昼に聴いても部屋に射し込んでくる陽の光の角がとれるような気にさせるから不思議。シンプルに四分を刻む鍵盤と調和するボーカル。20代半ばにして熟成感のある歌声はなるほどワインレッドの呼び名どおりです。そしてあのころの日本の音楽業界にはそんな成熟の美を愛玩するだけの懐のふかさがありました。30年ほど前の話です。

 ここでの井上陽水はストーリーを紡ぐことよりイメージを喚起することに専念しているように見受けられます。誤解をおそれずに言うなら、なにか熱く謳っているようで何も語っていない。そんな人を食ったところがあります。うつくしき巨大な空洞と言うべきか。

 主人公の女性は「きれいになりたい」し、「『好きだ』といえない」満たされぬ思いを抱いていることが提示されるが、その背景を詳らかにすることは作詞者の興味の対象ではない。むしろ曲の冒頭で「なぜ」を連呼させることに重きをおき、物語ではなく音韻そして音響を優先することに躊躇がありません。楽器屋の店先で短いフレーズをデモンストレーション演奏し、「ほらお客さん、いい音がでるでしょう?」と商品を売り込む店頭販売のプロのごとし。この楽器を最も美しく響かせるにはこのやり方にかぎる、という確信めいたものさえ感じさせます。そしてこの手練れのプロ販売員には力強い相棒がいる。控えめながら耽美なサウンド構築に長けた名匠、アレンジャー星勝です。

 じっさい、万人受けのするいい音で鳴るんだな、この楽器が。その名、玉置浩二。ボーカリストとしての凄みが圧倒的すぎて軽視されがちですが、作曲家としての才能もまた格別であることを最後に言い添えておきましょう。ああ、もしも生まれ変わったなら。

 

 

今回ご紹介した楽曲「恋の予感」のオリジナル・バージョンはこのアルバムに収録!

安全地帯『安全地帯III~抱きしめたい

 

2010年の新録バージョンも!

安全地帯『オレンジ/恋の予感』

 


 

松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。